ミヒャエル・ボレマンス展

ここ最近ですばらしかった展示は、何と言ってもミヒャエル・ボレマンス展です。 原美術館、ギャラリー小柳、そして建仁寺の両足院での展示もどうしてもこの目で見なくてはと、はるばる京都にも遠征してきました。

原美術館に行ったのは、東京に大雪が降った翌日でした。雪の翌日は、空気がぴんと冷えていて、太陽が雲に隠れていても不思議とあたりが明るく、なんとなく非日常的で気分が高揚します。もともとベルギーには好きなアーティストが多いのですが、私の好きなアーティストたちの制作の根底には、雪が降った日のあとのような、そこはかとない非現実感と、長い冬に閉ざされているようでいてほっこりと仄明るいような、そんな精神が共通しているように思います。そういった感性は、もしかすると天候によって育まれる部分もあるのかもしれません。

彼の作品は、向き合うと、なんとも言えない心もとないような感じと、反対にほっとするような気持ちとを感じます。その何とも言えない微妙な・そして心地よい感覚を、微妙なままにそっと引き出させることのできる作品の、その精緻さとある種朴訥とも言える誠実さに圧倒されます。

両足院は、京都最古の禅寺で大本山建仁寺にある14の塔頭寺院のひとつだということです。特別公開のお庭は、どこを切り取って見ても素晴らしく絵になり、それだけでも一見の価値ありでした。

展覧会は、京都造形芸術大学の企画により「もしも圧倒的な技術、表現力を有し、異なる文化を背景にもつ現代アーティストが、日本の寺社において現地で襖絵や調度品を制作した場合、その作品はどのように心に伝わるのか?」というコンセプトのもと、ボレマンス氏が両足院に滞在し、お庭を散策しながら見つけたモチーフをもとに墨絵を描き、それを院内の水月亭というお茶室で展示するというものでした。

お茶室の床の間に、ボレマンス氏がくちなしや手を構成した墨絵の掛け軸が展示されていました。墨絵のドローイングが表装されてしっくりとマッチしているところと、よい意味でどことなく違和感がある部分があり(着物を着ている欧米人を見た時の感覚と似ています)、なんとなく視覚と思考が混乱します。その違和感とお茶室の静謐さとのギャップがとても面白く、静かに興奮しました。

「グローバル化」は単純明快な理想のように語られることもありますが、アーティストのルーツやアイデンティティと、表現方法そのもののそれとのギャップは、どこが埋めるべき隔たりで、どこが美点・可能性としての隔たりになり得るのか。そのために作家は具体的に何に取り組むべきなのか……。じっくりと考えなければならないテーマだと思います。

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